2011年9月3日土曜日

「日下」問題その後(4)


 中之島図書館で、ようやく『地名学研究』の西宮氏の論文を見ることができた
「地名にかかる枕詞及びその地名」(『地名学研究』第十・十一合併号/日本地名学研究所/昭和34年9月)。

 ところで、前回の大阪市立中央図書館といい、今回の中之島図書館といい、地下鉄の駅からほど近く非常に便利である。前述のような恵まれた学生たちには及ばないが、それでも仕事帰りに寄れる範囲で、こうした資料を確認できることは有難いことである。

 さて、私が生まれる前のこの論文にたどり着いたわけだが、西宮氏は「日下」について、「枕詞的な修飾句があったのだろう。それがやがて、「日下」と書くだけで、地名クサカを表すようになったのであろう」と述べており、私が前回、谷川氏の引用から推測した通りであった。

 ただ、実はこの論文が最初ではなかった。氏は次のように言う。

 それ(宣長ら先行研究:引用者注)に対し、私は郷土史『ひらおか』5号に「日下と記紀万葉−日下の文字と名義−」と題して、その地勢<太陽をヌキにしては枚岡市日下町地方の印象は語れないと思うのは私一人ではなく、古代人も、神武天皇の孔舎衛坂の合戦の時にも、「今我は是れ日神の子孫、而るに日に向かいて虜を征するは此れ天道に逆らふなり」(神武記)、また雄略天皇の若日下部王をつつまどう時にも「日に背きて幸行の事、甚だ恐ろし」(雄略記)(※原論文は漢文表記のまま。書き下しは引用者、次も同じ)などと、太陽を中心にして、而もそれに対する信仰的な説話を残している点>から、「日の下のクサカ」といった枕詞的な修飾句があったのだろう。それがやがて、「日下」と書くだけで、地名クサカを表すようになったのであろうという旨を発表した(昭和三十四年三月)。詳しくはそれは拠られたい。
(前掲書35頁)

 あらあら、まだ前があったのかと思ったが、幸いここは中之島図書館。当該の『ひらおか』は昭和34年という古いものだが、大阪府関連だしここならあるかも、と調べてみたらあった。本当にここは便利だ。

 『ひらおか』は河内郷土研究会発行の雑誌で、西宮氏の「日下と記紀万葉」は5〜7号の3号に渉って連載されていた。
 確認してみたが、さすがに先の論文と時期も近接しており、書かれている内容に大差はなかった。
 しかし、全く収穫がなかったわけではない。次の5点は、『ひらおか』の方にのみ書かれていた。

・本居宣長が日下地名について、「これは波都世を長谷と書き、佐伎久佐を三伎と書く類だろう」と述べている。
「春日の滓鹿」という表現を使っている。(出典は不明)
・「長谷」について、日下だけでなく長谷も「文献の確証は無い」と明言している。
「長谷の場合は、「隠国の」なる枕詞がその位置を冒したのだろう」という見解を示している。
(以上は『ひらおか』5号)
・日下について、「この推定は本会顧問の田中卓氏もすでに「風土記研究会」(第十九回例会記録)<昭和31年6月21日>に、或いは「滓鹿の春日」といふやうに「日下のクサカ」という云い方があったのだろうか。と述べて居られるのは、簡潔ながら正鵠を得たものであり、拙稿は正しく、氏の論を敷衍した結果になったことをお断りしておく。」と述べている。
(以上は『ひらおか』6号)

 「風土記研究会」まで確認する必要性はなさそうだが、宣長のあげる「三伎」については確認してみたい。

 結局、目立った新しいデータは見つからなかった。 「太陽をヌキにしては枚岡市日下町地方の印象は語れない」という「印象」と、飛鳥・春日の事例から、「日の下の」という枕詞的な修飾句が「あったのだろう」と推測しているだけである。

※※※

 ところで西宮氏は、上記「地名にかかる〜」論文の冒頭近くで、「私の日頃地名に関して考えていることをかいつまんで述べておく」として、いくつかの留意事項をあげている。いま、その最初の2項をそのまま引用してみる。

(一) 地名と地名説話との関係。記紀風土記に見える地名説話は、すべて附会(ただしただし歴史的に、居住部族が証明できる場合を除く)と認めてよいこと。そして両者の関係は。地名が先で説話が後であること。ただ、当時の民間語源(フォルクス エチモロギ)意識を汲みとる点に有意義である。
(二) 地名と文字の関係。文字は音を表すためのものである場合がほとんどであるから、文字に意味を見出すことに重点を置いてはならないこと。ただし、もし表意文字として解してよい場合は、恐らく記紀風土記編纂者或いはその当時の人々の、語源意識と看做して差支えないこと。
(前掲書29頁)
 全く仰るとおりだと思う。
 しかし、西宮氏自身が設定したこの最初の二つに従うなら、「日下」を「日の下」という枕詞から生まれたものと推定することは避けなければならないのではないのだろうか。神武記や雄略記の説話は地名起源説話ではないが、「日下」という地名の字面から派生している可能性がないとは言えないし、私には同じ傾向の説話ではないかという「印象」を受ける。また、紛れもなく「日下」という文字に意味を見出している。「表意文字として解してよい」のだろうか。その根拠は、一例もない「枕詞的修辞」なのか?


 調べれば調べるほど納得できないこの問題であるが、実は「日下」だけでなく、長谷・飛鳥についても疑義が残る。『地名学研究』を読んで、これらについてもさらに考えて調べる必要を感じているのだが、それについては日を改めて報告したい。

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