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2011年9月17日土曜日
「日下」問題その後(8)
先行研究がありました…。やっぱりね。
うーん、見つけてしまったものは仕方ない。
ネットで色々と情報を検索していて、三重大学の加藤千恵さんという方が書かれた、「「飛鳥」の表記についてー地名と枕詞ー」という論文を見つけた。所収は、三重大学の紀要『三重大学日本語学文学』13号(2002年)。ネット上に公開されている(http://hdl.handle.net/10076/6589)。なお、著者の加藤千恵さんという方については、2002年3月に三重大の大学院を修了されたということしか分からない。ネットとは便利なのか恐ろしいのか…。
この論文で、加藤氏は、朱鳥改元にともなって「飛鳥浄御原宮」と名付けたという書紀の例の記事から、この「飛鳥」は(契沖や宣長を支持して)「トブトリ」ではないかと想定する。また、「飛鳥」という地名の用例を記紀万葉から金石文まで検討されて、「飛鳥」という表記が朱鳥より以前に確実に遡れる事例はないことを示し、さらに「鳥」が天武朝の瑞祥のイメージによるものであることなどから、「持統天皇が夫天武天皇の病気平癒の祈りを込めて「朱鳥」と改元し、それにちなんで名付けられた「トブトリノキヨミハラノミヤ」という宮号によって柿本人麻呂が枕詞「飛ぶ鳥の」を成立させたと考えられる」(前掲論文22ページ)とする。
私が考えた流れに近い。
また、考証過程の中で、『万葉』3791の竹取の翁の歌序中に『遊仙窟』の影響が見られること、小野朝臣毛人の墓志が刻まれたのは彼の死後すぐではない(天武朝以前である可能性は低い)ことなど、私がこれまで調べてきたことが、すでに述べられていた。
一方で、「枕詞と地名表記のどちらが先にあったのかという事に関する文献は残らない。」としつつも、廣岡義隆氏の「被枕摂取」論を紹介して、「枕詞「飛ぶ鳥の」が必ず地名「アスカ」を修飾するという関係によって、漢字表記「飛鳥」に地名の訓みである「アスカ」が定着していった」としており、あくまでも枕詞→地名という部分は定説を守っている。
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というわけで、今回の私の「考察」は、ほとんど独自性がないことが分かった。
まあいいか、論文じゃないし。もし卒論だったら号泣だな(^^;
でも、おかげで参考文献が新たに見つかった。
(a)本田義憲氏「万葉歌人と飛鳥」(井上光貞・門脇琴一編『古代を考える・飛鳥』吉川弘文館(1987)
本田氏は、「飛鳥」表記が枕詞「飛ぶ鳥の」に先行したと言及している、とのこと。これは読んでみたい。
これなら近所の図書館にもあるみたいだし。
(b)廣岡義隆氏「あかねさす紫野ー枕詞における被枕摂取と隔語修飾について」(『蒲生野』第26号、1994年)
廣岡氏は、被枕摂取(氏の造語)=枕詞が特定の被枕詞を修飾するうちに被枕詞が枕詞自体に取り込まれていく現象について述べているとのこと。
強敵っぽい。それに雑誌がマイナーで見つからないが、この人の最近の論集らしい『上代言語動態論』(2005)に収められているらしい。
ポイントは、枕詞→地名の是非に絞られてきたようだ。
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