2011年8月25日木曜日

「日下」問題その後(2)


 文庫本でない元の『白鳥伝説』(集英社 1986)を近くの図書館で見つけたので再度確認した。
 結果的には全く同じ内容であったが、前回私の引用ミス(誤脱)もあったので、再引用する。

 ここに西宮一民氏が『地名学研究』(第十・十一号合併特別号)によせた一文がある。それによると、日の下(した)のクサカという枕詞的な修辞句がはじめにあったという。その推論は次のような表現形式を参考にしている。「長谷(ながたに)の泊瀬(はつせ)」が「長谷」と記してハセとよませている。また「春日(はるひ)の滓鹿(かすが)」(春日の霞む)が春日と記してカスガとよませている。さらには「飛鳥(とぶとり)の明日香(あすか)」(『日本書紀』の天武朱鳥元年の条に、飛鳥浄御原宮の名としてから)が、飛鳥と書いてアスカとよませている。
 このように、枕詞的に用いられた修辞句が、やがて地名表記にそのまま使われるようになった例は、長谷、春日、飛鳥に見られるが、それを日下(くさか)に及ぼして、「日下(ひのした)の草香」という枕詞的修辞句があって、それが地名の訓(よみ)となったとみることができないか。

(前掲書「第一章 ひのもと考」37頁)

 とにかく、現時点で次のようなことが判明した。

(1)「日下」が枕詞的修辞句からできた地名表示であるという谷川氏の主張は、西宮一民氏の説である。ただし、四宮氏は「日の下」を「ひのした」と読むが、谷川氏は「ひのもと」と読むところに違いがある(というか、違うのはそこだけ)。

(2)四宮説=谷川説は、「日下の草香」という枕詞的修辞の実例があるのではなく、長谷・春日・飛鳥の例からの類推である。

 仮に「日の下の草香」という表現があったとして、それが「枕詞的修辞句」と言えるかどうかは用例を見てみないとわからない。にもかかわらず、国文学者の四宮氏も長谷・春日・飛鳥の例から類推しているだけである。

 くりかえしになるが、これは論理が循環している。

 いま、論証しようとしているのは、「日下をなぜクサカと訓むか」である。
 そこで、長谷・春日・飛鳥の例を引き合いに出し、枕詞が地名の用字に用いられることがあるから、草香(クサカ)に「日下の」という枕詞的修辞句があったのではないか、と推測する。
 ここがおかしい。
 本来、まず「日下の草香」という用例があって、そのことと類例の存在(長谷・春日・飛鳥)から「日下」の訓みを解釈するのが流れのはずだ。つまり、日下をクサカと訓むのが枕詞的修辞句からだというなら「日下の草香」の存在が証拠であるべきなのに、その証拠がない。そこで、類例からそれ(「日下の草香」)があっただろうと言うのだから、これはまさに結論ありきで証拠をあとから作っていると言われていも仕方ないのではないか。

 現時点ではこれ以上の追求ができない。『地名学研究』をまだ見れていないからだ。
 そこで、手元の資料をもとに、類例となるはずの長谷・春日・飛鳥についてちょっと調べてみた。…すると、これもそう単純ではないことが分かってきた。

 常識も疑ってみるのは大事。ということで次回へ続く。

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